一人の山は静かだ、だあれもいない山の端で、ふと水辺の傍らに腰を下ろす。一人だから話す相手もいない。そんなときは自然の音を聴く。耳の後ろに両手を当てて上流に向かって息を殺す。BMGのような流れの音は次第に消えて源流の一滴の様が浮かんでくる。下流に向かえば、滝の音が聞こえる。木々を揺らしあたりを圧して漂うしぶきが匂いまでも運んでくる。見上げて空に向かえば風が行き交い、鳥のさえずりが聞こえてくる。腰を上げて立ち上がり、わずか1m程だけ高さを増すだけで音の様が変わる。水音は確かに弱くなり周囲の草木のざわめきや虫の羽音までが飛び込んでくる。山頂に辿り着けば360度の展望。耳に手を当てて北の方角に向かえば北の音が聞こえる。春と秋に音の違いは顕著だが、四方の音を聴いてみれば、形のないものが見えてくる。
山に何を求めるか、安らぎか、日々の慰めか、はたまた感動か、スポーツか、単なる遊びか。求め方によって山は表情を変え、大きくも小さくもなる。急登に喘ぎ辛さにめげそうになり、やっと辿り着いた頂で風雪に叩かれ、意味を問う。有るときは若さに悩み、歳を重ねて老いに悩んでも、この世で生きることに思いを馳せるならば、自ずと山に求めるもののありかが分かる