先月、初めて土星の輪の中に入った観察衛星が任務を果たして燃え尽きた。打ち上げたのは20年前、その間ひたすらこの時を待っていた科学者もいただろう。宇宙と関わる人たちは人間の一生ではとてもかなわない長い時間を描かなければならない。何世代にもわたって引き継がれる事が不可欠だ。今見ている何万光年彼方の星には既に存在しないものもある。見えるものが現実にあるとは限らない、という哲学の命題にもつながる宇宙の存在は不思議と未知に溢れている。一番近い恒星でさえ光の速さで4年以上掛かるという果てしない時間と空間を、ロマンや夢ととらえて希望を見いだすか、地球や人の存在ではとてもかなわない広大無辺な空間で、いつかは宇宙のゴミとなる地球の運命を確信して絶望に行き着くか。それはその人のあり方によるだろう。山で眺める満天の星、眺める人によって様々なとらえ方があってよい。わー凄い、とただ眺め、感嘆する事から自分のあり方にまで思いを巡らせる事が出来たのは、やはり日常の生活では体験できない山で過ごした日々のおかげ。山に日常を持ち込んではいけない、常々思うことである。