もちろんGPSなどない時代、山中をさ迷い歩いたことがある。夜である、通いなれた奥多摩の山中。ふと道を間違えたことに気が付いた。戻ろう、そうして振り出しに戻り、地形図を見て、先ほどとは明らかに違う方向の道を歩き始めた。しばらくして倒木が道をふさいだ。あ、今さっき通った道である。覚えのある倒木である。戻って違う道を歩いていたのに、また同じ道を歩いている。ワンダリングである。わずかな距離のはずなのに行けども行けども辿り着かない。視界のない冬山ではよくあること。雪に覆われてあたりが真っ白で目印がないからワンダリングしていることすら分からず延々と同じ道を巡ってしまい、遭難原因になる。方向感覚を失い冷静さを失い錯覚に陥る。唯一場を踏んだ経験が自分を取り戻させる。我に返り、磁石を振って目的の方向に歩いて行けばよいのだが・・。山には怪奇現象が多いが、その多くは、生命感溢れた自然の中で人の迷いや悩みが行き場を失い錯覚として現れるのではないか、山の中の道は全てが山登りのためにあるのではない。山で人は誇りや文化や社会生活での知恵を捨て、獣や魑魅魍魎、怨霊になって自然の精霊と対話できるようになりたい。