12月初旬、まだ早いかな、と思っていたのに、房総の水仙は咲いていた。1年を巡って再び見ることの出来た妻の形見のような風景に時の流れの重さを感じる。太宰治の「水仙」の花の絵の謎解きでは、答えは読者に託された。山登りで感じる不思議な感慨、ため息の出るような場面でも、何故というその答えは、時の経過に託されてゆくに違いない。五感で触れる山での体験は全てが謎解きなのかも知れない。40年も前の白黒写真と今この時の写真を見比べても山そのももの風景は少しも変わらない。山を背景に写った人の姿がなかったらその時を検証し語るすべはない。人の存在がその時代を証言している。服装や装備の違い、人とのつながり、歴史の詰まった1枚は人の存在なしでは語れないのだ。標識、山小屋、登山道、全ての人工物は時を背負って写っている。40年後に同じ風景の中で同じ人たちと写っていたとしたら、それは奇蹟に近いことだけど、その人たちが共に過ごした時は、きっと素敵に爽やかに幸せに流れていたに違いない。